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諸葛孔明が眠る定軍山を訪ねて 中国陝西省漢中市

諸葛孔明が眠る定軍山を訪ねて 中国陝西省漢中市
勉県武侯祠。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)
 【新華社漢中11月30日】中国陝西省漢中市勉県にある定軍山は、三国時代の有名な古戦場で、蜀漢の宰相、諸葛亮孔明)の永眠の地でもある。諸葛亮が234年秋、五丈原(同省宝鶏市)において54歳で病没すると、遺命により遺体は定軍山に埋葬された。263年に蜀漢の後主、劉禅(りゅう・ぜん)が「墓の近くに廟を建てよ」と詔を発したことから、後に「天下第一の武侯祠」と呼ばれる勉県武侯祠が建てられた。
諸葛孔明が眠る定軍山を訪ねて 中国陝西省漢中市
勉県博物館に展示されている三国時代の「銅弩機(どうどき)」。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)

 定軍山の主峰の南に仰天窪と呼ばれる場所がある。周囲の長さは1.5キロあり、1万の兵を収容できる。諸葛亮は当時、軍をここに駐屯させ、「諸葛井」と飲馬池を掘ったとされ、現在でも地元の水源となっている。山の麓にある諸葛亮の墓「武侯墓」は墳丘の高さ6メートル、周長64メートルで「覆斗形」と呼ばれる台形をしており、樹齢1700年以上の漢代の古木が2本立つ。

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定軍山山麓の武侯墓。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)

 武侯祠と武侯墓には特徴的で深遠な意味を持つ楹聯(えいれん、建物の柱に掛ける対句)や扁額が多くあり、壮観さを引き立てている。うち、勉県武侯祠には対聯(ついれん、対句)が20幅余り、扁額が30幅残されており、中でも清の嘉慶帝自筆の金字扁額「忠貫雲霄」が最も貴重とされる。

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武侯墓の墳丘。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)

 諸葛亮劉備関羽趙雲など蜀漢の英雄は魏晋時代以降、「忠、義、仁、孝」の化身として徐々に国家の祭祀(さいし)体系に組み込まれた。勉県の武侯墓や武侯祠も歴代の王朝で諸葛亮の公式の祭祀の場とされ、1700年以上にわたり公的な修繕と保護を受けてきた。地元で行われてきた諸葛亮の祭祀活動は現在、勉県諸葛武侯清明祭祀大典として陝西省無形文化遺産に登録されている。(記者/孫正好)

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武侯墓に架かる後世の人々が書いた扁額。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)
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定軍山に立つ夏侯淵(かこう・えん)を斬る黄忠の像。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)
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定軍山の主峰。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)
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勉県武侯祠の扁額「忠貫雲霄」と諸葛亮像。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)
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定軍山山麓の飲馬池。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)
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定軍山の全景。(資料写真、漢中=新華社配信)
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勉県諸葛武侯清明祭祀大典。(資料写真、漢中=新華社配信)
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勉県武侯祠。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)
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勉県博物館に展示されている三国時代の「銅蒺藜 (どうしつり・銅製のまきびし)」。(10月28日撮影、漢中=新華社記者/孫正好)