定軍山の主峰の南に仰天窪と呼ばれる場所がある。周囲の長さは1.5キロあり、1万の兵を収容できる。諸葛亮は当時、軍をここに駐屯させ、「諸葛井」と飲馬池を掘ったとされ、現在でも地元の水源となっている。山の麓にある諸葛亮の墓「武侯墓」は墳丘の高さ6メートル、周長64メートルで「覆斗形」と呼ばれる台形をしており、樹齢1700年以上の漢代の古木が2本立つ。
武侯祠と武侯墓には特徴的で深遠な意味を持つ楹聯(えいれん、建物の柱に掛ける対句)や扁額が多くあり、壮観さを引き立てている。うち、勉県武侯祠には対聯(ついれん、対句)が20幅余り、扁額が30幅残されており、中でも清の嘉慶帝自筆の金字扁額「忠貫雲霄」が最も貴重とされる。
諸葛亮や劉備、関羽、趙雲など蜀漢の英雄は魏晋時代以降、「忠、義、仁、孝」の化身として徐々に国家の祭祀(さいし)体系に組み込まれた。勉県の武侯墓や武侯祠も歴代の王朝で諸葛亮の公式の祭祀の場とされ、1700年以上にわたり公的な修繕と保護を受けてきた。地元で行われてきた諸葛亮の祭祀活動は現在、勉県諸葛武侯清明祭祀大典として陝西省の無形文化遺産に登録されている。(記者/孫正好)