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千年前の宮廷茶器が伝える唐代の「茶道」

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法門寺宝物の一つ、鎏金鴻雁流雲文銀茶碾子。(資料写真、西安新華社配信)

 

 【新華社西安5月27日】中国は茶の故郷であり、喫茶文化は唐代に最初のピークを迎えた。唐の人々はどのようにお茶を飲んでいたのか。どのような喫茶習慣があったのか。陝西省宝鶏市扶風県の法門寺博物館が所蔵する神秘的な茶器が、その答えを教えてくれる。

 

法門寺地宮の発掘時の様子。(資料写真、西安新華社配信)

 

 法門寺では1987年、地宮(地下宝物庫)から摩羯文三銀塩台(まかつもんさんそくぎんえんだい)、鎏金鴻雁流雲文銀茶碾子(りゅうきんこうがんりゅううんもんぎんてんし)、鎏金飛天仙鶴文銀茶羅子(りゅうきんひてんせんかくもんぎんちゃらし)、鎏金蔓草文長柄銀匙(りゅうきんつるくさもんながえぎんさじ)などの巧みな構想と精緻な職人技を持つ茶器が出土した。これらは唐の懿宗(いそう)と僖宗(きそう)が奉納した茶器で、貯塩器や焙茶器、碾茶器(てんちゃき、薬研)、篩茶器(さいちゃき、茶こし)、煮茶器、飲茶器などを含む。金銀製品を中心に、当時は金銀より貴重とされた瑠璃器や秘色青磁などもあり、これまで世界で発見された中で時代が最も古く、等級が最も高い唐代宮廷茶器、中国古代の「最高級の贅沢品」とされる。

法門寺宝物の一つ、鎏金飛天仙鶴文銀茶羅子。(資料写真、西安新華社配信)

 

 法門寺博物館の初代館長で、地宮の発掘に立ち会った韓金科(かん・きんか)氏はこれらの茶器について、等級が高く、内容も豊かで、陸羽(唐代の文筆家、茶の研究者)の「茶経」に書かれている茶器を具体化したものだと指摘。煎茶や煮茶など唐代の人々の喫茶習慣を復元したと説明した。

 

法門寺宝物の一つ、摩羯文三銀塩台。(資料写真、西安新華社配信)

 

 茶葉に湯を注ぐ後世のお茶の入れ方と異なり、唐代中~後期には茶葉を茶餅にしていた。当時の人々はまず茶餅を取り出し、焙炉であぶり、茶餅の水分を飛ばしてから茶を飲んだ。

 

 法門寺博物館の任新来(じん・しんらい)現館長は「冷めた茶餅を砕くのが茶碾子で、主に茶葉を繰り返し挽くために使った」と説明。挽いた茶葉は茶羅子でふるいにかけ、米粒の大きさに整えたという。

 

法門寺宝物の一つ、秘色青磁碗。(資料写真、西安新華社配信)

 

 茶を煮る過程は、釜の水が沸騰し、魚の目ほどの泡が出た時点で適量の塩を入れ、2度目に沸騰した際にひとさじ分の湯を取り出し、その後、竹筴(ちくきょう、竹箸)で水をかき混ぜるながら茶を入れる。3度目に沸騰したら、2度目の沸騰時に取り出しておいた湯で沸騰を沈め、後に茶を飲茶器に注ぎ、熱いうちに飲んだ。用いる道具は風炉、火箸、塩台など16種類に及んだ。

 

法門寺宝物の一つ、瑠璃の茶盞(ちゃさん)と茶托。(資料写真、西安新華社配信)

 

 唐代の喫茶風習は、仏教とともに日本へも伝わった。日本では、唐代に留学僧として中国に渡った最澄が、天台山から持ち帰った茶の種子を比叡山麓の日吉大社にまいたのが茶の始まりとされている。最澄に2年遅れて帰国した空海は、茶の種子だけでなく、茶道具や「茶経」も持ち帰り、茶の普及に努めた。

 

 茶文化研究者の韓星海(かん・せいかい)氏は「『茶経』の出現と中国茶の海外への伝播により、茶は貿易品としてだけでなく、文化として広がった」と指摘。「『茶経』の記載は生産の歴史や源流から、製法や喫茶芸術、茶徳や茶風にまで及ぶ。これらは海外、特に日本に非常に大きな影響を与えた」と語った。(記者/孫正好)